岸元春プロフィール

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岸元春

おひさま農園(茨城県常陸大宮市国長)代表
1952年(昭和27年)生まれ。
33歳のときに自衛隊を退職後、家業である椎茸栽培を行いながら、自然農法や有機農法など、様々な農法を模索。
1999年、NPO法人ネットワーク『地球村』代表 高木善之さんとの出逢いをきっかけに「不耕起・無肥料・無農薬・無除草」の“水戸自然農学びの会”(後に“水戸自然農ネットワーク”へ改名)を仲間と始める。
震災以降、放射能汚染により、原木による椎茸栽培ができなくなるなか、「ホーリ-バジルは放射能によるストレスに有効で、インド軍がお茶として活用」の記事に出逢い、同ハーブの栽培を開始。ホーリーバジルの畑に集まる様々種類の蜂や蝶たち、スズメガやトンボの姿を見て、自然界の循環・調和の世界に感激し、ホーリージバル普及にも尽力。
現在は、土地にあった循環できる自然農業を実践。TBS人気番組「中居正広の金曜日のスマたちへ」の定番コーナー「ひとり農業」の農業指導役としても活躍。

 

これまでの歩み

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少年時代に残る原風景

  • 冬は母の引くリヤカーに乗せられ、山に焚き木とりに。帰りはリヤカーの後押しで「助かったよ」と言われ、いい気持ちだった。
  • 野良で働く父の汗を嫌っていた。悪事をしては父に叩かれるのが嫌で、裸足で家を飛び出していた。
  • 夕立が来ると弟と共に、乾燥葉煙草をよく取り込まされた。真夏、自転車で売りに来るアイスキャンデーの味が忘れられない。
  • 手も顔も黒くして兄弟での炭焼きの手伝い。足腰が鍛えられたなぁー。
  • ヒルに吸い付かれ、腰が痛かった田植えの手伝い。おにぎりの美味しさは格別だった。

 

自衛隊在職中

  • 朝礼の国旗掲揚の時、涙があふれてしかたなかった。今思うと、あれはお国のためにと散っていった先人の涙だったのか?
  • 九州の脊振(せぶり)山では山芋掘り、ワサビ採りで熱燗もぅ一杯!を楽しんだ。
  • 年に一度帰る故郷の山は、帰る度に無くなり、ゴルフ場に変わっていった。
  • 有吉佐和子著「複合汚染」、福岡正信著「わら一本の革命」を読み、 帰農を決意(33歳)。
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帰農後

  • 椎茸栽培を手伝いながら2年間、自然農法をチャレンジするが、先が良くなる見通しなく、堆肥を使う有機農業に転換。
  • 1999年、NPO法人ネットワーク『地球村』代表 高木善之さんの講演を聞き、川口由一さん指導の草や虫を敵にしない「不耕起・無肥料・無農薬・無除草」の“自然農学びの会”(後に“水戸自然農ネットワーク”へ改名)を仲間と始める。
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※自然農法とは

福岡正信氏(1913-2008)により提唱された。不耕起・無肥料・無農薬・無除草を特徴とする農法を行い、クローバーや麦の種や、粘土団子を蒔くという栽培技術が特徴的である。
他にも、宗教家の岡田茂吉氏(1882-1955)による農法もある。

※自然農とは

川口由一氏(1939年- )が提唱・実践する農法。自然農法と同様の特徴であるが、人力による除草は肯定する。土地を耕さず肥料や農薬を用いない、そして草や虫を敵としない生命の営みに任せた農。永続可能な農業・社会を目指し、全国各地で自然農の指導にもあたる。

 

2011年3月11日「東日本大震災」以降・・・

  • 放射能汚染により、原木による椎茸栽培はできなくなる。
  • 「ホーリ-バジルは放射能によるストレスに有効で、インド軍がお茶として活用」の記事を読む。
  • 2012年、2013年と20本位の試験栽培を行う。草と共生させる自然農では自家用程度で精一杯だった。
  • 2014年、福島からオ一ヤトゥルシー《前日本ホーリーバジル協会理事長 大矢泰司氏(故人)が品種改良して、インドから日本に持ってきた薬効の高いホーリーバジル》の種を購入する。ひたちなか市の鈴木美穂さんからも偶然にオ一ヤトゥルシーの種を頂き、500本位畑に植え付ける。
  • 同6月、日本ホーリーバジル協会1周年記セミナーに参加する。多くの学びあり、ホーリーバジルの普及が自分の使命と感ずる。
  • 同7月、紫の花が次々と咲いてくるホーリーバジルの畑には、いろいろな種類の蜂たちや蝶たち、スズメガやトンボも集まってきて、自然界の大調和の世界を見せてくれていることに感激する。
  • 同12月に他界した大矢理事長の志を継承し、ホーリーバジルの普及に尽力することを深く心に刻む。
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