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ホーリーバジルについて


自然農業について


おひさま農園のホーリーバジル畑

 

インタビュー
「なぜホーリーバジルなのか?」

ミツバチ、ハナバチ、チョウチョ、アカトンボ、いろんな虫が集まってきたの?

珍しいのでは、ハチドリみたいにホバリングしながら、蜜を吸うスズメガっていう大きいガ。

珍しいの?それは?

珍しいねぇ~。

どういう意味で、珍しいの?この辺にはいないってこと?

いやぁ~、殆ど見たことないもの、前には。
よく、ほれ、これがハチドリだっていって、分かんない人は、あのぉ~日本にもハチドリがいたなんて騒ぎになることがあるんだって。

でも違うんだ?それは、スズメガなんだ。

うんうんうん。

ガなの?ガ?

うん、ガだね。
そういう虫たちが、ほんと、集まってきて、まぁそれは、蜜をね、あのー吸いに来るんだろうけども、それによってほら、受粉できるわけだからね、ホーリーバジルはね。そういう、持ちつ持たれつの世界がそこにできて、それがね、ほら、宇宙の、自然のこととしてね、行われる。こぼれた種ができて、種を結んで、こぼれたのが、芽を出すんだよね。それも、雨が降った日に、自然にもう、種蒔かなくても、芽が出てくる。そういうサイクルも出来上がって。ほんとそれが、あぁ~調和の世界なんだなーって、感じたんだよね。

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これまでも、何年くらいですか?自然農をしてきて?

うーん、そう、もう30年くらいになるよね。

色んなものを作ってきた中で、何でホーリーバジルなんですか?

だから今、原発以降に、菜の花でもね、ホントにもう、虫が、チョウも、ホントに少なくなっちゃってるんだよね。

菜の花にも、ハチとかチョウがいないんだ?減ったんだ?原発以降?

うん、見られなくなっちゃってる。

じゃぁ、ここ2,3年に急激に減っているってこと?

そうそうそうそう、うん。
そういう中で、ホーリーバジルのとこは、ホントに、花園っていうか、パラダイスっていうかね。うん。そういう状況になって、ホントにビックリしたんだよね。

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驚いたんだ?

そうそうそうそう、うん。

それで?ビックリして?

それが、あのーなんていうか、場がいいわけだよね。だから、集まってくるわけだね、そのー。

ホーリーバジルを植えることによって、場がよくなる?

そう、場がね。良くなってきてる。

ということは、私たちの身体もそうだけれども、飲むだけではなく、ホーリーバジルを植えるという行為自体が、実際に循環システムであったりとか、自然を取り戻す、壊れてしまった自然を取り戻す、力を持ってる?

力を持ってる、えぇえぇえぇー。(うなずく)

岸さんはホーリーバジルについて、いろいろ勉強されてきたでしょ。インドでは聖なるものといわれている中で、そうした情報の中でも、こういったことというのは聞いたことはあります?場がよくなる話とかっていうのは、岸さんの感覚?それとも何か、客観的に何か聞いたことはあるんですか。

だから、ほら、インドでは、一本植えとけば、その家から病気が出なくなるとかね。そういう言い伝えが昔っからこう、あるっていうのはやっぱり、その場を良くするから、多分病人も出なくなるし、悪いことを考えることもなくなるんぢゃないかなーっていう、感じがしたんだよね。

なるほど…。岸さんとホーリーバジルの出逢いは?

出逢い?出逢いは、あのやっぱり、震災の原発事故で、あのー、椎茸栽培ができなくなってしまった。で、んー。椎茸栽培に代わるものは何かないかなーって探したところ、インドの方では、放射能のストレスに対処するためにホーリーバジルティーを飲んでるっていう記事に出逢って。

それは、どれくらい前の話?

今から、2年…3年前か。3年前だね。もう、4年だもんね、だってね。

そして、その1年後くらいにその話を知ることに?震災後、椎茸に色んなことがあって、まぁ、結局、椎茸栽培はもうだめだって諦めて、栽培はもう無理だってなったときに、ホーリーバジルの記事に出逢ったの?新聞かなにか?誰かからもらったの?

うーん、ネットだと思ったなー、うーん。

で、その後どうしたの?種はどうしたの?

種は最初、知り合いがほら、どっかネットか何かで買ってくれたんだわ。それをもらったんだよ、最初は。で、2年目はその種で、えぇ~その種でやったんだね。

私がお分けしたのって、去年だもんね?

そうだね。去年だよ、持ってんの分かったのは。笑)

今2015年だから、私があげた種は、2013年の種か。私も結構前から、ホーリーバジル協会の話は知っていて、種を下さった千葉の方から、大矢さんから広まったホーリーバジルの種をもらったの。で、まぁ、2012年から育てていくなかで、やっぱりこのハーブはスゴイ!と今に至るのは、最初からそう思ってたの?

いや、分かんなかった。2年は分かんなかったね。

何が違ったんだろうね、その2年間と今っていうのは?

うんだから、それが、あのー、ちょっとこれはハッキリはしないけど、大矢さんが持ってきた、福島のね、オオヤ・トルゥーシーってね、亡くなっちゃったけどね。大矢さんが持ってきた、オオヤ・トルゥーシーっていう種類の凄さってのも、私はあるのかなーっと。

なるほどねー、それこそ種が、どの土地で、どうやって育ってきたのかっていうのが?

うん、それもあるかもしれないんだね。

じゃぁ、実際、大矢さんのところの種をいれるようになったのは、ここ2年くらいなんだ?

だから、去年からだよね。

大矢さんのところには、何回かいらしてましたよね?

いやぁ~だから、去年の6月が初めてなんだよ。種をネットで取り寄せて、そしたら、6月にセミナーをやるからって、それで行ったわけね。

どうでした?そのセミナーに参加したとき?

いやぁ~やっぱり、ホーリーバジルの凄さってのは、うん、色んな体験も聞けたから、うん、やっぱりスゴイんだなーってことで。

何が一番スゴイと思いました?一番スゴイと思う部分は?

一番スゴイと思ったのは、あのー、仙台の女医さん。大学院かな、大学院で研究してる人みたいなんだけども、その女医さんが乳がんになってしまって、旦那もお医者さん。なんで、やっぱり西洋的なね、手術を受けた。本人は嫌だったみたいなんだけども。西洋的な手術を受けて、それから、やっぱりその、自然療法っていうか、ホーリーバジルを食べたり、飲んだり、毎日あのー、するようになったら、放射線治療っていうのかな、あれ、再発防止のね、それの後遺症っていうのかな、それが全然でなかったっていうね。傷口もキレイに治っちゃったっていう。そういうの聞いて、ホントに、やっぱりスゴイんだなぁ~って思ってね。

 

話し戻るんですけど、その30年間、自然農法っていっても色んな切り口があると思うんですけど、岸さんのは、自然農法?自然農業?どういう言い方がベスト何ですか?岸さんがやってらっしゃることっていうのは?どう呼んでます?自分では?

自然農業って、言った方がいいのかなーっていう思いはあるんだけども。

(経緯については、プロフィールの中に掲載)

最初は、福岡正信さんの自然農法だったんだね?

自然農法だね、最初にやったのはね。それから川口由一さんの自然農。だから、自然農業だね、間違っちゃうから。

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岸さんの考える「自然農業」って何ですか?

うーん、だからあのー、調和できる農業っていうことだろうな。自然に、自然の営みに沿ったというか。だから、自然は、豊かになろう、豊かになろうっていうか、方向にね、流れてきてるから、その流れにね、沿った農業。っていえばいいのかな。

豊かになろうって、どういうこと?

だからそのー、色んな植物であるし、動物であるし、そういうのが、うーん、生きられる、うん、そいいう流れにあのー、宇宙の、地球の営み、そういう方向にきてるっていうのは、宇宙の意志だと思うんだよね。

震災があり、放射能の問題も、岸さん自身の生活にも直接に影響が起こっているという中でも、それでも尚、やっぱり自然というのは、或いは地球というものは、豊かになろうという方向にあると云う風に、今も尚、感じている。

うん、そうだね。

一般的な意見としては、そこについては「えっ?」っていうと思うんだけど?

あぁ、そうかもしんないね。

そのとき、岸さんだったらどう答える?

そうだね。津波は自然だろうけれども、原発事故、放射能の問題は、それは、人為だね。人為は逆な方向にいっている。

放射能という視点だと、岸さんはどんなことを語るの?

そうだね、椎茸のことでいえば、チェルノブイリでね、事故が起こったときに、あのー家で栽培してる椎茸にスゴイ奇形が発生したんだよね。普通は1本のキノコしかならないんだけど、2本に分かれちゃったキノコとか、キノコの傘の上にキノコが生えたり。色んな変形がでたんだよね。チェルノブイリの前にはおこんなかったことが、うん。山に置いておいて、それを持って来たからね、その間に遺伝子が傷ついたんだろうね。

その後、茨城でも臨界事故があったじゃないですか?

あんときも出たんだよ、あんときも。だから、間違いなくこれは、放射能だなと、うん。

今回はどうなんですか?

今回は、椎茸も取らなくなっちゃったからな、それ見てないんだよね、それね。(=収穫までに至ってない)

ホーリーバジルは大丈夫なんですか?

ホーリーバジル協会の理事長がいうのには、計測計でちゃんと計ったんだけれども、ホーリーバジルの下とそこから離れたところで計ってみると、ホーリーバジルの下は、放射線量が少なくなってるってね、うん。そういうのは、実験してんだよね、うん。

何で自然農法をやろうと思ったの?

元々は、親父とお袋がやってたからね。代々、農家だね。他のは聞いたことないから、ずーっとやってたんだろうな。

ずーっと、常陸大宮?

そうだよ。近所に本家ってのがあるから、そっから分かれて、十何代とかね、家の方はね。でまた、家の方も分かれてるから。だから、いっぱい岸っていう名前があるんだよ。だから、八幡太郎義家とか、源氏を出た頃の話とかも伝わってるんだよね。蝦夷地のね、平定に行ったという。金砂郷なんかにも伝わってるんだけども、行くときにほら、征伐に行く人を艦隊、ほら、地元でね、艦隊したら、平定して、帰りにね、ほら、こいつら強くなると、やばいからっていうんで、今度はほら、みんな取り上げられて、みんな群家させられちゃったんだよね。そういうのが、残ってんだよね。家の方にも、岸家もやっぱり、やられてるっていう。残ってるんですよ、ほんとに。だから岸家がほら、そっからいっぱい分かれちゃったわけ。

代々農家をされているなかで、岸さんにスイッチが入ったのは何で?自然農法に?

高校生のときに、母親が大病をして、タバコ栽培から椎茸栽培に切り替えてね。タバコもね、やっぱりね、重労働なんだよね。でも椎茸ならば、ほら、親父が山仕事やって、お袋は家で仕事ができるからってね、切り替えたんだね。それが、結果的にはよかったんだけども。

それから30年前に、岸さんが農業を始めた?

そう、自然農法をやりたいと思って、自衛隊をやめたんだからね。

 

インタビュア:鈴木美穂(Laughy Children

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