オオヤ・トゥルシーについて

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栽培のきっかけ

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26年間やってきた椎茸栽培は、2013年の東日本大震災による福島原発事故により放射能に汚染されてしまい、継続することができなくなりました。椎茸に変わるものを探し求めていたところ、出会ったのがホーリーバジルでした。インドでは、核兵器を取り扱う方達が、核の被爆から身体を防御する目的で、ホーリーバジルのお茶を飲んでいるという情報に接し、ホーリーバジルの種をインターネットで取り寄せ、手探りで栽培を始めました。茎も葉も紫もの、緑色のもの等、色々な種類の種が入っていたようでした。無肥料、草生栽培の自然農では、満足に育てることが出来ず、途中で枯れてしまう株もありました。

 

オオヤ・トゥルシーとの出会い

2014年3月に日本ホーリーバジル協会があることを知り、種を採り寄せ播種。4月には不思議なことに、自然農の仲間の鈴木美穂さん(茨城県ひたちなか市)が、千葉の方から種を頂き、昨年栽培したというホーリーバジルを1本持ってきてくれたのです。さっそく、播種しましたが、後で分かったことですが、どちらもオオヤ・トゥルシーだったのです。5月にはお陰様で、300㎡の畑と400㎡の畑に育った苗を定植することが出来ました。

 

オオヤ・トゥルシーとは

その年の6月に、福島市の日本ホーリーバジル協会に於いて、「第4回福島の祈り/ホーリーバジル協会セミナー」に参加し、NPO法人日本ホーリーバジル協会理事長 大矢泰司氏(2014年11月にご逝去)より、オオヤ・トゥルシー品種改良のご苦労を聞きました。
日本の気候に合ったもの、しかも効能が高いものを求めてインドを旅し、親交のあったダライ・ラマの協力を得て、インドの農業機関で品種改良すること10年、オオヤ・トゥルシー(日本での登録名は、オオヤ・キセキ)が出来上がり、本人も腎臓結石が流れてしまうという体験をして、日本での普及が始まった。オオヤ・トゥルシーは、葉の裏に紫の斑点があるのが特徴です。
また、体験の報告として、仙台市の女医M.M.氏が乳がん手術後、ホーリーバジルの生葉やお茶を服用して、術後の抗がん治療も体調を崩すことなく、完治したとの話を聞き、一層ホーリーバジル栽培の意欲が高まりました。
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ホーリーバジルを栽培して-「愛」を感じる

ホーリーバジルが紫色の花を咲かせるようになる頃、真ん中の花穂を摘み取ってしまうと、脇芽が次々と出てくるようになり、一本の株がこんもりした山状に花穂が出そろう。紫の花が咲き賑う頃、畑に出てみると、特有のさわやかな香りに誘われてか、日本ミツバチ、西洋ミツバチ、大きな花バチ、小さなハチと色々な蜂で賑っている。モンシロチョウや他のチョウチョも寄ってきている。空にはトンボも舞っている。
最近、特に原発事故後は見られなかった光景です。それが、ホーリーバジルの畑には見られるのです。春の菜の花畑でも見られない光景が、ここでは見られるのです。インタビュー映像「おひさま農園のホーリーバジル畑」をご覧ください。
畑に居て感じたことは、これが愛の姿、自然界の大調和の姿であるということ、ここに居るだけで大安心の姿でした。私はこのときから「愛のホーリーバジル」と呼ぶことにしました。ホーリーバジルは、「愛」を教えてくれる私の先生です。
『畑に立ちて「愛」とは、「一体」である(佐藤康行)』という言葉を噛み締めています。

 

 

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お茶の作り方」はこちらを参照して下さい。
苗木の育て方」についてのこちらもご参照下さい。