この秋も伊豆(現在は浜松市と往復とか)の松尾俊一さんより、「風来庵だより」が届いた。
彼は30年来私を導いてくれている存在である。大震災の年はクリスタルボウル奏者の奥様MOKOちゃんと友人の民族楽器奏者のあやちゃんと共に、慰問コンサートに茨城に来てくれた方である。
その時は演奏に合わせて、若い時にスリランカで修業した原始仏教のお経をパーリー語で詠唱していただいた。
チェルノブイリ原発事故の時から、一貫して原発の危険性を訴えてきた方でもある。
著書に「超訳般若心経」があり、それをミネハハが歌っているCDもある。
今号の冒頭の記事は深いので、多くの人と共有したいので紹介したい。
以下
風来庵だより2016立冬 松尾俊一(スンニャ)
晴れて良し 曇りても良し 不二の山 元の姿は 変わらざりけり
と故人は歌いました。
これは 富士の姿を形容していると共に
あなた方の“本性としての仏性”を形容している歌として
禅の境地と誉め称えられてもいます。
それは同時に、あらゆるものの“本性”を示してもいるのです。
あらゆる形あるものの背後には全て、姿形なきもの、
あなた方が時に、霊、魂、氣、エネルギー、いのち、神 と呼んだりするものが、
隠れて存在しているのです。
これこそが全て、在りて在るものであって、
片時も千変万化して止まない、存在の本質なのです。
そうして、肉体という形をとった あなたも、
心や魂という 形をとった あなたも 全て、
そうした本質の一時的な顕れであって、
一時的な顕れにしか過ぎません。
この世は‶苦“だとか 修行の場だとか、
色々と言われています。」
そのどれもが間違いだと言う訳ではありません。
あなたがそう思い そうしようとすれば
そのようになるからです。
あなたが“この世”で どのように生きようとも、
あなたは”この世“と呼ばれる 顕在している世界を
体験し、味わい、
いのちの世界を豊かにする ひとつのいのちとして
”この世“を体験しているのであって、
いずれは その体験を持ち帰って報告し
共有し 頒かち合う事で
もう一つの世界をも豊かにするという お役目を果たす為に
“この世”を体験している いわば代表選手なのですから,
どのように生き どのような体験をしようとも
それは そのままで良いのであって、だからこそ逆に
どのように生きるかが 本当に大切なのだということを、
あなたは知っていて欲しいのです。
でもありていに言ってしまえば、
あなたという”この世“に開かれた窓を通して、
私たちも”この世“と呼ばれる世界を覗き見し、
あなたと共に 体験してもいるのですよ。
あなたと共に在るもの